慢性病、受容への模索と瞑想実修の強化

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慢性の痛みや病気で苦しんだことのある人は誰でも、それでどんなに衰弱してしまうか、マインドにどれだけ大きな影響がありうるかわかると思います。どんなにポジティブでいようと努力しても、あまりにもひどい日があったり、状況をありのまま受け入れようという意思との闘いになったりします。

わたしは2年以上、慢性疲労に苦しみました。ただベットから起き上がって出勤するのが最も大変な移動のひとつになっていました。わずかに使えるエネルギーで1日を乗り越えようとすることと、「具合が良くなさそうよ」と常に言われることで、身体的にも精神的にも消耗しました。ですが、奮闘のピークは仕事から帰ってからでした。わたしに残された唯一の選択は、料理をするか、日々のサーダナをするかでした。両方やるエネルギーはなかったのです。

霊的な実修を愛する者として、体が必要とするエネルギーを与えるために食べるという身体的な行為か、座って瞑想して他の方法で「食べる」ことを期待するかどちらか、という犠牲を払わなければならないところまできたことが信じられませんでした。ほとんどの日はそのときの成り行きでした。あまりお腹が空いていなかったら実修をし、お腹が空いていたら実修をあきらめ、食事をしました。

どんなものであれ霊的な実修の美しいところは、外側の世界のスイッチをオフにして内側の深い場所に入っていき、ただあること、ただ自分自身に寄り添うことができる時間だということです。もっと修養を重ねれば、もっと本当に自分自身に寄り添うことに日々時間をとることの重要性に気づくようになります。わたしたちは毎日体を養いますが、それなら魂も養うべきですよね?

わたしたちは毎日体を養いますが、それなら魂も養うべきですよね?

しかし、わたしは継続することができませんでした。料理か瞑想かの選択をする葛藤をしながら数ヶ月過ごした後、涙き崩れました。多くの時間を睡眠に使ったり、日常の仕事をできていないと自分を責めるため、いつも不十分だという感覚があって、それに打ちのめされたのです。その夜、わたしのグルである、パラマハンサ・ヴィシュワナンダがシンプルなメッセージをもって夢に現れてくださいました。はっきりとした声で彼は「疲れていたとしても、愛は変わらずあるのです」とおっしゃいました。この短いお言葉は、マインドを静め、一歩下がって新鮮な目で状況を見させてくれました。

そのメッセージのおかげで、自分にそんなに厳しくする必要はないと決断しました。わたしはできるだけのことをしたら、休息が必要なときはそれを心から受け入れて、体が必要とする休息を与え始めました。それは実修しない言い訳にしたということではなく、浮上してくる思考をもっと意識するようになったということです。特に心配、苦悩、自己嫌悪とについて。時間をとってそれをありのままにとらえ、心から受け入れることで、日常の仕事をこなしながらもっと平和な生活を送れるようになりました。サーダナの実修は再びより楽しくなり、健康問題をより深い理解をもってみられるようになりました。一歩下がって状況を観察者として観るとき、ものごとを違う視点から観ることができるようになり、そして自然に原因に対する洞察が起こり始めます。

一歩下がって状況を観察者として観るとき、ものごとを違う視点から観ることができるようになり、そして自然に原因に対する洞察が起こり始めます。

わたしたちは実修について時々、どんな状況でも毎日ある時間に正確にやらなければならないなどと、機械的にとらわれることがあります。だからわたしたちはそもそもなぜ実修するのかを忘れてしまいます。パラマハンサ・ヴィシュワナンダはいつも愛するということを教えてくださっています。ただ愛するようにと。わたしたちは深いところに内在しているこの愛につながるよう努力をしなければなりません。ですが、よい食事を楽しんですべてを味わっているときのように、あなたは霊的実修のおいしいところを「味わい」楽しみたくなるでしょう。時々決めたことを守れないこともあるかもしれませんが、もし愛がわたしたちの生来の性質でいつも存在するなら、1日か2日状況的にできない日があっても、それで止まるものではないと言えるでしょう。ですから、努力して、実修してください。そして味わうのもお忘れなく!

 


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