外界に幸福を求めるのはなぜでしょうか?

Thumbnail

そのことでいつも困惑していました。 文字通り霊的な道について、真の幸福は外界で見いだせるのか、それとも実は自身の内側に見いだされるものなのかと、人に尋ねると、大多数は後者に同意するでしょう。 あなたもそれに同意しますか? しかし、現実生活はどうかというと、この信念はシャボン玉のように短命のようです。 たいていは、チョコレートが無性に食べたいというこの小さな渇望を感じること、炎天下にバスをもう少し待たなければならないということで十分です。あるいは、パートナーが思い通りにしてくれないというようなシンプルなことで。こうした例は幸福が外に見いだせるものではないことをすっかり忘れるのに十分です。 外界についての私たちの期待が満たされるときだけ、しかも理想的にはまさに今ここで満たされるときだけ、幸せなのだと深く確信してしまうのです。

では、本当の幸せはどこで起こっているのでしょうか。 外側でしょうか - それとも自身の内側ででしょうか?

実は、科学でさえここでは精神性の側に立っています。 科学的見地から見ると、かりそめの人間的な幸福であれ、深い瞑想で経験された至福感であれ、それはその人の外側ではなく、まさにそこ、自身の脳の中で起こっている経験です。プーリーでの沈黙リトリート中にパラマハンサ・ヴィシュワナンダが沈黙の中に深く入るよう指導してくださったように、実際に外界の喜びに対する感覚を意図的に遮り、静寂の中に深く入ると、(この経験についてもっと読むにはこちら)このときこそ、 真の幸福、真の至福について真に理解するようになり、真の成就が内側に起こり始めます。 そして、あなたの期待が満たされていなくても、何のわだかまりもなく、幸せで満ち足りているのを感じられると理解できるようになります。 真の幸福は感覚的な経験だけに制限されることはないからです。

それで、まだ沈黙リトリート中だったときに、外側のどこかに幸福を見つけられるというこの考えは、どこから来るのかと、自問しました その考えの源はどこにあるのでしょうか? そして、私たちの期待が満たされていないにもかかわらず、なぜそれを簡単に信じてしまうのでしょうか?

それから自身を見、自分のマインドを見ました…そしてそれはとても明白になりました。 とてもシンプルでした。 幸福と至福は内側でしか見つけられないこと、そしてそれがどんな外的要因にも依存しないことを本当に理解した瞬間は、自身のマインドとそれが生み出すものすべてに対して全責任を負う必要がある瞬間となります。 幸福は内側に見いだされるのみであるという、それが自らの実際の選択によるものであるという考えを本当に受け入れる瞬間は、自分の幸福に責任を負うのは、唯一自分であると認めることも必要となる瞬間となり、その時には自身の内面の状態に対して、もはや誰も、そしてもう何も責めることができません。 そして、そのような抜本的な責任という考えは、マインドが容易に受け入れたがらないものです。

この理解を私たちの日常生活に真に統合するには、多くの勇気と自らの気づきの実習が必要です。

しかし、だからこそ、今まで受け取ってきたアートマ・クリヤ・ヨーガという賜物にとても感謝しています。なぜなら、意識的にする呼吸のたびに、だんだんと、少しずつ少しずつ、内なる宇宙をより意識できるようになり、すべての幸福と至福の本当の源はアートマ、大いなる魂の中だけにある、物質的な世界で経験する他の小さな幸せはそれを単に反映しているだけであるという、より高い理解に導かれるからです。そして、アートマ・クリヤ・ヨーガの実修を通して、より高次の自己と神との関係を深めれば深めるほど、自らの幸福やその欠如に責任を負うのは自分だけであることを実感し始めます。なぜなら、大いなる魂は自らの中にあり、それは今も昔も至福の中にあるのですから。そして、いつもこの至福を感じることができないならば、それはただ、時折マインドによって作り出される、一時的な印象によって曇らされているからです。しかし、このマインドを制御し鎮めれば、帰依心をもってサーダナをし、一日じゅうジャパ・クリヤをし続けると、自然に思考、言葉、行動においてもっと意識し、気づき、責任を持つようになります。そしてこれこそが真の幸福の始まる場です。

本当にとてもチョコレートが必要だと、マインドが説得しようとするとき、次にこれについて考えてみましょう。 少しの間この欲求を満たすのを遅らせ、マインドを観察し、何が起こるのか見てください。 たぶん、それを食べるという考えを放棄するかもしれません、あるいはそれでもまだそれを食べたいと思うかもしれません。 しかし重要なことは、自分が選択できるということを自分自身に思い出させることです - そしてそれを食べることを選択しようとしなかろうと、あなたの幸せはそれに依存する必要はありません。 真の幸福はそのこととは何の関係もないからです。


Blog »