霊性の道の土台としてのサーダナ

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私は最近アメリカへ旅に出かけました。 シュリー・ピータ・ニラヤからの旅の主な理由は、そこで医師たちに健康診断をしてもらうことでした(私は1型糖尿病をかかえています)。 しかし、私の家族の何人かと古い友人に会うこともできました。

私の家族は特に霊性の道を歩んでいません。 もしかしたら、内緒にしているのかもしれませんが、見たところ、彼らは「宗教的」ではないし、信条を口にしていません。 中にはもっと率直で、内的なことも外的なことも、私の信条や実修の詳細を尋ねてくる人もいますが、その話題から距離をとるだけの人もいます。

生命のそうした側面への彼らの視点や距離がどうであろうと、私の人生のなくてはならない部分であるために、そのことが話題に上がります。 「外」の世界、すなわち日常的にそれほど積極的に宗教や霊性修養を実践していない世界は、目先の喜びにとても重点を置いています。 精神、神性、愛する無限の能力を一列に並ばせる訓練に根ざしていないとき、マインドは欲望と五感の喜びにむかって行列します。 通常、私は霊性の道にある他の人ととても近しくしています。 しかしそうではなく遠く離れ、人生の焦点が私とはかけはなれた人々に取り囲まれると、かなりなショックがありそうです。

私はすぐに外の世界の人生ドラマや人生ゲームにひきつけられがちです。 概して、そのような不要なストレス、心配、五感の満足を土台にした人生のばかげた誘惑を見ると、ただ笑ってしまします。 愛の姿勢を保ち、それを自分から広めようと努力します。 しかし、マインドが、そのような暮らし方にかかわり、引き込まれることがないようにすることが本当に必要です。

しかし、今回アメリカで過ごしてみて、そのような環境に入ったときに、普段自分を観察しているときより、自身を守る力がはるかに弱いと気づきました。 失い始めた良い習慣があります。 また、マインドが周りの調子や人生ドラマと共に踊り出し、左右にぶれ始めました。 それでも私をとどまらせてくれたのはサーダナです。 私のアートマ・クリヤの実修は私にとって隠れ家です。 それは、霊性の道における錨であり、自身が神の愛であることを忘れずにいるための、霊的な思考態度です。 ですから、マインドが飛びまわって焦点を失いがちでも、サーダナが好ましい方向に引き戻してくれたのです。

パラマハンサ・ヴィシュワナンダの言葉がしばしば私の耳の中でこだまします。私が初めて彼と面会した後、彼はクリヤを必ず実修するようにとおっしゃいました。以来その言葉をずっと心にとどめています。最近アメリカであったような時を経験した後、サーダナが私の基盤であることに気づきました。私はつねに、最小限でも、実修の個人的な時間に戻ってきます。私の最後のブログ記事で述べたように、過去1年で、私はクリヤをもう「最低限」とみなさない点で、成長しました。それどころかそれを途方もない道具、土台、柱、私の霊的な人生を築く事のできる基礎とみなしています。機械的に練習するより、愛を心がけて、神に視点を定めて実修すると、アートマ・クリヤ・ヨーガは特に強力で、意識を高め、悪影響を防いでくれます。実修はマインドが霊性を織り込まれるように設計されています。私たちが霊的存在であるという認識が強まり、他方で、物質的な存在であるという認識のもつ弱点が消滅します。これが全体としてのアートマ・クリヤ・ヨーガの恩寵です。

アートマ・クリヤ・ヨーガが習えることにとても感謝しています! その力は私の幸せ、私の内なる成就、そして私の道にきわめて重要です。 サーダナは、霊的探求者にとって信じられないほどの贈り物です。 それは霊的成長の基礎です。 それが培う規律と基盤はとても頑丈です。サーダナは私にとって、そして本当に誰にとっても、とても重要です。この記事を読むかもしれないすべての人のためにその重要な役割を強調し、すべての皆さんが、サーダナとの関係を再評価してくださることを、強調しようとしています。それは、自分を定義し、愛する実態として、自身を一層本質と同一視できるよう助けてくれます。それは、そのような贈り物であり、そのような道具なのです

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