霊性の畑を耕す - 私たちが求める答え

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もしかしたら、霊性の道やバクティ・マルガ・コミュニティに参加したてで、アートマ・クリヤ・ヨーガの素晴らしさをまだ経験していないかもしれません。 しかし、とにかくここにあなたを導いたのは偶然ではありません。 「幸運で」(それは共時性、運命、神のタイミングなのですが)、光と真理の教えを携えて道を渡るのであれば、それが向こう側に渡るのを照らしてくれます。 完全に悟られたこの世に生きているマスターと道を渡るとすれば、本当に祝福されています。

ヨーガの未経験者から霊的探求者、ヨーガの弟子や教師への霊性の旅(ヨーガとは肉体的な実修ではなく霊性の哲学です)のどこにいても、ヨーガ行者でさえも、霊性の旅について深く考えますが、考えるにつれて、悟りの道に伴う、懸命に求めながら疑ってしまう問いと迷いの、避けられない探求がやってきます。

あまりに多くの疑問が、明確化ではなく、さらに多くの問いや迷いの方へどんどん進んでいきます。 探している答えの、測り知れない遠大な価値を受け取る準備ができていなければ、それを単に受け取ることができず、霊性の畑を準備していなければ、黙って魂のささやきに耳を貸さなければ、 永遠の知恵を完全に吸収し、体現し、理解する準備ができていなければ、準備のできていない人にとっては、その啓示は何の役にも立たないでしょう。

宇宙、広大無辺、無量寿、(神)は決して私たちをなぎ倒してくるものではないので、まさしく受け取る準備ができているときに、まさしく受け取る準備ができているものが、一瞬一瞬、少しずつ、一滴ずつ、ほんの小さな変容の形で、まさに必要とされるものが、束の間の恩寵が、流れてくるのです。そしてついにますます長く恩寵の中に浸れるようになります。

girl wearing a yellow wrap lying in flowers Bhakti Marga Sadhana

霊的本質が第二の性質になります。 知がその眠りから目覚め、私たちは扉を開き、準備ができ、時が熟したので、受け取り始めます。これが恩寵です。

そのとき初めて、私たちは限界のあるマインドではなく、純粋な存在の限りない本質によって、答えを知覚することができ、恩寵がすんなりと成長し、そして私たちがますます至福へと流れてゆきます。 最も小さな瞬間と最も単純なものの中にさえ、あたり一面に恩寵があります。 新鮮で鮮明な内なる視界の中で、世界は新たな美しさとエネルギーで輝きそして光を放ちます。

限界あるもの、マインドを通して無限であるものへの答えを求めているならば、受け取るものは限定されたものでしかありえません。 究極的には、その方法は瞑想(サーダナ)中に、帰依の場にあって鎮まり、純粋に感覚がシンプルになることによるものです。霊的なハートの領域(アナハタ)を通してのものです。 また、その道の段階や詳細を一つ一つ知的に理解したり分析したりするようなやり方も減らしましょう。 「喜悦」への内なる旅の途上で何を経験する必要があるのかを知っていて、導いてくれる高次の知性が存在します。

ただ手離して流れさせてください。信頼し明け渡しましょう。 あなたは導かれています。 完璧な(神の)タイミングで答えが明らかにされます。 あなたの霊性の畑とあなたの中に植えられた美しい種の世話をし栄養を与え続けてください。 質問をやめたときにきっと答えを知るでしょう。答えは流れているのですから。

アートマ・クリヤ・ヨーガは太陽の光、空気と水、生命力の流れのようなものです。すべての内なる霊性の種が成長し豊かにしげる必要があります。 この苗木に気を配ってくださる偉大なマスター方のこれらの神聖な教えは、大変まれな祝福であり、神の贈り物です。 実を結ばせましょう。

バガヴァッド・ギータに関するパラマハンサ・ヴィシュワナンダの講話から:「グルの指導は肥沃な土地に植えられた種のようなものです。弟子のハートが石のようであれば、そこから何も成長しません。聖書から引用される種蒔きのたとえのように。 乾燥した土地に種を投げても何も成長しません。石の上に落としても何も成長しませんが、肥沃な土地に落下すれば成長し、実を結ぶでしょう。」

霊性の畑をアートマ・クリヤ・ヨーガの素晴らしさである霊性修養(サーダナ)で耕してください。私の最も深い望みは、ときが来た時に、あなた方がそれを体験することです。 「この世にはすべてのものにとってふさわしい季節と時間があります」

Silence speaks. Sadhana flows. The little seed grows.

沈黙が語り、サーダナが流れ、小さな種が育つのです。

 


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