新年の抱負は?

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新年の抱負は?

新しい年の初めに、ほとんどの人が抱負を抱く必要性を感じます。 自分自身のことや日常生活のことの中で、改善したり、やりとげたり、変えたりすべきことです。 自分のために始めたことを達成し損ねることがよくあり、しまいには失望し、自己嫌悪に陥ることがよくあります。

しかし、逆説的なことに、他人から、何をすべきか言われるとか、規律を必要としたり、日常的な業務や練習になるようなものを与えられるという発想が好きではありません。 自分の人生や自分の生き方を自ら「管理」し、「担当」する必要があると感じることがよくあります。 自分の日常が何であり、どこであり、どうのようであるべきかを決定するために。

その結果、実際には、どこにも導いてはくれないようなことをすることに、膨大な量の時間とエネルギーを浪費することがよくあります。 「自由」と「自由意志」についてのパターン化した思考様式にしがみつくために「(歯と爪で)必死で戦う」というこの必要性のせいで、それらの概念そのものが拡張されず、制約されてしまいます。 皮肉なことに、それによって、頑固さ、習慣および前世から刷り込まれた経験に対して無力になります。 言い換えれば、サンスカーラ(心の習性)がますます根付いてしまうということです。

これらのサンスカーラによって、停滞し続け、生命や自身について知っていると思いこんだ枠の中にはまったままになります。

前進し、このパターン化した思考様式を手放し、すでに内在する神の愛を実現するのを助けるために、マスターによってサーダナが与えられているのです。

サーダナは,強制されることなく、自分の意志で自由に行うように与えられています。 彼の慈悲はとても偉大で、彼の愛は条件がありません。彼は、私たちが繁栄し、拡大し、私たちの本当の霊的実在である神の愛に、自らを明け渡し、浸る機会を与えてくれます。 その霊的実在の表現として意識的に日常生活を送れるように。

手にしているさまざまなサーダナは、個人の感覚に合うように、多様です。 彼の導きと、制限なく、無条件に、そして平等に与えてくださっているこの愛への、献身(バクティ)と感謝を表す機会を与えられます。

彼からの評価づけがないのですから、どうして私たちの方からの評価付けが生じるでしょうか。 どうして「罪悪感」が道を進む役に立つのでしょうか。 彼からの「罰」はありませんから、それはすべて自身のマインドから来るものです。 彼の導きを胸に抱いて、喜びと熱意をもって自分のサーダナを受け入れましょう。 バクティが、行動に現れた真の愛となるように、毎日、瞬間ごとに、そのバクティを表現しましょう。

ですから、これらの実修を拒否せずに、実修が日常生活の一部にならない言いわけを見つけるのではなく、生活様式に合わないからと押しのける代わりに、あるいはマインドが、他のどんな理由を手品のようにしてひねり出しても、この同じ飛行機に乗っている、最も忍耐強く、最も愛情深く、最も思いやりのある存在からのこれらの贈り物を受け止めてください。 ーー我らがクリヤ・ヨーガ・マスター、パラマハンサ・ヴィシュワナンダ

 

 

 

 

 

 


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